外観再建天守のある尼崎城址公園で見られる石垣は、新たに小豆島から運ばれたもので造られている。その中には尼崎城三ノ丸の石垣の転用石が使われている。また、尼崎の市街地には、寺町や公園などに尼崎城の石垣石が残り、中には刻印石がある。尼崎市立地域研究史料館紀要『地域史研究』(中川雄三氏・佐藤 功氏)で取り上げられた石垣石の中から矢穴痕のある代表的なものを散策する(詳しい場所は尼崎城Googleマップ、レイヤー「尼崎城の残石(矢穴石)」参照)。
尼崎城址公園で見る矢穴石
上記写真は、尼崎城址公園の天守西側にある石垣。赤丸は矢穴石。
中央の石の下部に矢穴痕がある。
中央の石の左手に矢穴痕がある。
中央の石の下部に矢穴痕がある。
中央の石の左手に矢穴痕がある。
それぞれに矢穴痕が確認できる。矢穴の種類はCタイプで、それが用いられた江戸中期以降の震災による修復時のものである可能性が高い。
尼崎城址公園の矢穴石。外観再建天守北側にある。こちらもCタイプかと思われる。
尼崎市立中央図書館の復興石垣。尼崎城址公園の石垣より先に再建されている石垣。この石垣は、一部に尼崎城の西の外堀である庄下川から引き上げられた石が使用されており、矢穴石や庄下川のヘドロで汚れた石垣石が確認できる。
写真中央の石の右手に矢穴痕が見られる。
写真中央の石に矢穴が見られる。また下の石は黒い汚れがあるがこれは庄下川のヘドロなのだそう。
尼崎の寺町に残る矢穴石
尼崎の寺町、長遠寺境内の句碑は矢穴石。このほか、となりの如来院に題目碑が矢穴石となっている。
尼崎の寺町、本興寺境内の経塔台石に矢穴石がある。
尼崎の市街地に見られる刻印石と矢穴石
明城小学校(尼崎城本丸跡)の二宮金次郎の台座は矢穴石(石材右側に矢穴痕)。矢穴サイズから築城時の石垣石。その形から上面が石垣表面とされる。
大物公園に屋外展示されている尼崎城の刻印石(二つ串団子)。川田正夫氏寄贈。現地案内板によると本丸の堀で使われていた。地面に接している方が表面。尼崎城では刻印石はこのほか数例しか無いらしい。
尼崎だいもつ病院のロータリーにある矢穴石。付近にもうひとつ矢穴痕のある石がある。大物公園横にあるのでセットで見ておくと良い。
外観再建天守から西へ200m、開明中公園にある矢穴石。このまわりにある石のうち3つは石垣石のよう。
ちょっと脱線するが、同じく開明中公園にある米軍戦闘機によって攻撃された小学校の壁に残る機銃掃射の跡。
庄下川にかかる戎橋の北側に屋外展示されている築城時の石垣石。うち2つには矢穴痕が確認できる。
潮江素盞嗚神社の手水鉢の矢穴。
尼崎の西川公園に残る矢穴石。矢穴痕がついた石は2石ある。
尼崎城本丸跡に建つ尼崎市立歴史博物館(尼崎市立高等女学校)の門柱には石垣石が使われており、非常に見つけずらいが、うっすらCタイプの矢穴も確認できる。
門脇の両サイドには、尼崎城の矢穴石が屋外展示されている。矢穴の形状は築城時のAタイプ、江戸中期と思われるCタイプともにある。そのほか、尼崎市立歴史博物館内の中庭には石垣石が無数にあり、中に入れば見ることができる。