彦根城

彦根城の天守とその構造

彦根城の天守は三重三階で国宝に指定されている。天守が国宝に指定されている5城のうちのひとつだ。その印象は譜代筆頭にして、徳川幕府の重職を担う家柄を考えると、やや小振りなようにも感じられる。これは、立藩時の身代が18万石であったことと関係があると考えられるだろう。一方、入母屋破風や切妻破風、唐破風をはじめ、廻縁、華頭窓、懸魚(けぎょ)などの趣向が凝らされており、武張った家風の中にあって美しさも表現されている。内部構造としては長い柱で建物を支える通し柱を用いず、各階ごとの管柱で構成されている。

彦根城天守
一説には、彦根城天守は関ヶ原の戦いの当日に落城したものの、立花宗茂や小早川秀包など西軍の一部の武将を引き付け、東軍勝利の遠因となった、大津城から移築したものと伝わる。附櫓、多聞櫓とともに国宝に指定されている。天守は解体修工事の調査時に慶長11年(1606)に建てられたことが判明しており、連結する附櫓に続く多聞櫓は、慶安3年(1650)に増築されたと考えられている。面白いことに附櫓内の鉄砲狭間が、多聞櫓内部に向けて設置されているものが二門あり、意図して狙っているのか、もしくは増築時の当時の建築感覚というものが残した偶然なのではないかとふと想像したりした。

彦根城天守は、大津城天守の移築と伝わるが、昭和30年代に行われた解体修理時点では天守と太鼓門櫓天秤櫓は移築されたものであることは確認されたが、どこからの移築なのかは裏付けられていない。

彦根城天守の唐破風
唐破風は漆塗りで金箔押しの飾り金具が付いている。

彦根城天守
破風の数もほかの天守と比べ18個と多く切妻破風も見られる。

彦根城天守入口
天守台横に付属する小さな建物は天守入口で地階に通じる。

多門櫓と附櫓から入る天守の見どころ

彦根城天守の入口は2つある。上記の地階に通じる入口と、天守附櫓や付随する多聞櫓からだ。この後者の道のりを見どころとともに紹介する。

天守多聞櫓

彦根城天守多聞櫓
天守附櫓に連結する多門櫓の内部。左手が城外側で土塀が分厚くなっているのが分かる。また左手に連なる狭間は、本丸下を狙えるよう角度がつけられたものが多い。

天守多聞櫓から見る天守附櫓入口
天守多聞櫓から見る天守附櫓入口。漆喰塗りの壁はその防御と火を意識している。また漆喰で塗り固められて分かりにくいが、多聞櫓内部に向けられた鉄砲狭間が隠されている。これは増築時に狭間を潰したものか、松江城の天守附櫓のように内部を狙ったものかは分からない。

天守附櫓

天守附櫓内部
天守附櫓内部。正面の入口は天守1階へと続く。梁が自然木をそのまま使用されているところが特徴で、大工の腕の見せどころだったのではないかと想像してみたりした。

天守1階

彦根城天守1階の扉
彦根城の天守1階の扉。強固な扉という印象は薄いが、写真左の門扉に潜り戸が見られる。

彦根城の天守1階内部
天守1階内部の武者走り。逓減率の問題か他の天守と比べ武者走りの幅は広い。

彦根城の天守1階内室
天守1階内室の様子。これだけ戸板が入っている様子は他の天守ではあまり見られず珍しい。

彦根城天守1階東室内部
天守1階、東室内部の様子。右手の階段は2階へと登る階段で、下ると地階へと通じる。

彦根城天守1階に見られる隠し狭間
天守1階に見られる隠し狭間。戦闘時は突き破って使用する。

天守2階

彦根城天守2階内室
彦根城天守2階内室。1階に比べ床面積はかなり狭い。大津城からの移築説がうなずける逓減率とでも言おうか。

天守3階

彦根城天守3階東室
天守は主に2部屋に間仕切りされている。写真は天守3階東室の様子。正面の窓は最上階の外観に見られる花頭窓。

彦根城天守3階西室
彦根城天守3階西室。

彦根城天守3階小屋組
天守3階の小屋組。自然木を組み合わせた独特の造り。直線的な柱と曲線美の梁。まるで静と動を扱った絵画のよう。

彦根城天守の破風の間
昔は公開はされていなかったが最近は破風の内部を公開している。小さな戸板を開けると、千鳥破風の内部の空間に入ることができる(見学時はのぞき込みのみ)。

破風の間と鉄砲狭間
破風の間の内部。こういった建築上できた空間は、この次期の天守では物置として活用したり、城外側に向けた鉄砲狭間を設けた。千鳥破風として出ている構造のため屋根が邪魔にならず鉄砲を撃つことができる。


天守3階武者走りから小屋組を見上げた様子。お分かりいただけるだろうか、人が乗れる板が設置されている。そこから入母屋の妻部分にある扉「妻戸」に通じる。その扉を鉄砲狭間とした攻撃できる拠点とも言えるし、本来、妻戸は屋根のメンテナンスのために設けられているのでその出入りのためとも考えられる。

(文=mario・岡 泰行 写真=岡 泰行)

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