写真:岡 泰行
芥川山城の歴史と見どころ
縄張図を掲載した解説板
「塚脇ルート」「大手道」利用の場合は、バス停「塚脇」に縄張図を掲載した解説板がある。「上の口ルート」はその登山口に、大きく拡大された縄張図と解説がある。さらに詳しくは、高槻城近くの「高槻市立しろあと歴史館」へどうぞ。
三好長慶の石像
2021年6月、三好長慶の石像が摂津峡公園の桜広場に設定された。高槻の市民グループ三好芥川城の会の顕彰碑建立委員会が制作し、市に寄贈したもので、その姿は三好長慶の菩提寺の聚光院に伝わる重要文化財の肖像画から。高さは約2m。
芥川山城の散策コース
芥川山城の登山ルート
登山ルートは「塚脇ルート」「上の口ルート」「大手道」の3ルートがある(上記Googleマップ参照・または「塚脇」バス停に登山ルート解説のイラスト参照)。
「塚脇」バス停からは、「塚脇ルート」で登るのが暖勾配で道も良い。大手道は急勾配で一部で道が悪い。塚脇ルートで登ると江戸時代の集落跡、猪鼻に至る。そこから西に折れてすぐ東曲輪群で城内だ。また、猪鼻からそのまま直進して下る道があるがこれが「上の口ルート」となる。
下山時の選択肢として、「上の口ルート」から下り、芥川沿いにぐるっと城山を西まわりで摂津峡を見ながら塚脇に戻る道がある。この道を歩くと、摂津峡は実に景観が良く、また、芥川山城の北側、西側、南側が川と断崖によって守れているのがよく解る。この場合、出丸と主郭の間に直結する大手道をわずかに下った大手石垣を下山前に見ておくと良い。
一方、「大手道」から下山すると、先のように大手石垣があり、一部、道が悪いところがある。また、縄張図片手に道無き道を行く強者であれば、主郭南側の出丸、田ノ丸(郭)から大土塁を経て大手道に至りそのまま下山するのも良い。
芥川山城の撮影方法
芥川山城は、近年、主郭部周辺の木々が伐採され、眺望が得られる城となった。眼下に広がるその視野は広く、高槻の中心部から大阪まで見渡せる。望遠レンズを持っていれば芥川山城から大阪城も見られるぞ(写真)。大阪は直線距離にして約22km、貴重な1枚をご覧あれ。余談ながらひときわ高いビルは、高層ビル日本一の高さを誇る「あべのハルカス」(丹波大納言さん撮影)。
芥川山城の写真集
城郭カメラマン撮影の写真で探る芥川山城の魅力と見どころ「お城めぐりFAN LIBRARY」はこちらから。芥川山城の関連史跡
摂津峡
城山をぐるっと囲む芥川。この渓谷の景観は実に良く「摂津峡」と呼ばれている。摂津峡を歩けば、北・西・南の三方が芥川山城が芥川とその断崖によって守れているのがよく解る。正直なところ、戦国時代なら城を攻める際、上司にこっちから攻めてと言われたら拒否したい。
上宮天満宮と天神の馬場
JR高槻駅から北へ徒歩10分の「上宮天満宮」。三好討伐時の織田信長本陣跡だ。また、その参道は、山崎の戦いの時、秀吉が本陣を置いた「天神の馬場」だ。芥川山城や西国街道、山崎古戦場との位置関係を把握しておくと旅がより面白くなるぞ。
芥川仇討ちの辻
西国街道の芥川宿に「芥川宿仇討ちの辻」がある。江戸時代初期の仇討ちの美談の舞台だ。賤ヶ岳の七本槍のひとり、加藤嘉明の曾孫、助三郎が親の仇討ちで早川八之丞を高槻城下で討ち取った。討たれた八之丞の懐中には書状があり、「自分は二人も殺した人間であるため、討たれて当然であり旦つ、討った方に咎はない」とあったという。
周囲の城
知名度が高い城では、山崎城、高槻城、茨木城、勝竜寺城など。マイナーな城では芥川山城東曲輪群のすぐ東にある帯仕山付城(遺構無し)、芥川城(石碑のみ)、今城(今城塚古墳)、開田城(土塁公園)など。
ベッドタウンの裏山に、ひっそりと残る三好長慶居城、芥川山城。7年続いた芥川政権の中心地とは、にわかに信じられないような寂びれ様。ここを訪れたら、ついでに近くの今城塚古墳もおすすめです。比定を誤ったために、発掘が許可されている数少ない天皇陵。
( 岸本)さんより
バス停脇に芥川山城の説明板がある。ここから右手に見える山が芥川山城のある三好山である。住宅街の中を少し歩き、三好山の標識に従って登り始めること約20分ほどでいよいよ城域へ。芥川山城は東西二つの郭群に分かれているように見えるが、その中間当たりにある見事な「登り土塁」に出会う。ここからは郭の連続。更に土橋を渡って岩盤を堀抜いたクランク状の虎口を通り、西の郭群の中心部へ入る。ここに矢穴が三つある岩と城址碑があった。城址碑のある郭の下に見事な石垣がある。一見すると砂防ダムのような感じでそびえている。高さは3mくらいかな? 石も大きく、整形こそされていないが、裏込め石みたいな石もあった。石垣はあと数カ所に残っており、発掘で礎石建物も検出されているらしいし、城域も広くさすが三好長慶の本城だけあるなと思う。なにより高槻みたいな都市部にこんな山城がほぼ完存していることに感動する。
( 伊藤)さんより
芥川山城の竪土塁は緩斜面を4段ほどの曲輪で防御する形、それらの曲輪の東側を通しています。主郭の本丸下(南側)の曲輪、本丸から2段下がった曲輪、それ以外は下草が刈られ、とてもいい状態でした。3.5時間歩きとおして、山城の面白さを満喫しました。本丸、桜の古木が3本、満開です。欅の芽は未だでした。偶然、鶯の鳴き声。摂津峡の向こう側の山には霞みながらも山桜が咲いていました。
( 目黒の木村)さんより
三好山の南麓には江戸期から字城山という集落があり、乾田が亀岡方面へ抜ける間道にある猪鼻と呼ばれるあたりまで広がっていた。猪鼻に見られる石垣はその石垣で、芥川山城東郭群の土塁上に江戸期の墓石が数基あるがこれはその集落のものと考えて良いだろう。
( shirofan)さんより