写真:岡 泰行
猪苗代城(亀ヶ城)の関連史跡
土津神社。会津松平家の祖、保科正之が祭神。
[maabu (2000.02.14)]
猪苗代城(亀ヶ城)のおすすめ旅グルメ
猪苗代産のもち米から作られたもち菓子「ひでこもち」、この地に古くから伝わる菓子「ササだんご」など。
猪苗代城(亀ヶ城)の史跡めぐりにこだわる最適なホテル
近くにスキー場が多く民宿が多い。
[maabu (2000.02.14)]
猪苗代城は「いなわしろ」城と読みます。別名、亀ヶ城。「亀ヶ城公園」となっています。
( maabu)さんより
春は桜の名所。
( みふちで)さんより
戦国期に福島県会津地方に勢力を誇っていた芦名氏の枝族である猪苗代氏の 居城だった。天正17年(1589)、芦名義広と伊達政宗が付近の摺上原で戦った時には当主猪苗代盛国は伊達方に内通。猪苗代城は、伊達軍の重要拠点として伊達政宗の会津攻略に寄与した。その後、豊臣大名の蒲生氏郷が会津に入り、続いて越後から上杉氏、加藤氏の時代を経て松平(保科)氏が入る。一国一城令の特例として会津若松城とともに猪苗代城が松平氏の城と認められ明治に至る。1867年の会津戦争では薩摩・長州主力の官軍(西軍)を迎え撃つ重要拠点となったが、戦端が開かれるとすぐに守備兵(会津兵)は退却しその際炎上しそのまま廃城となる。現在は公園となっている。
( maabu)さんより
猪苗代町役場に復元模型があります。一応、猪苗代町の調査資料を本に作ったものなのですが、建物の復元等は、やや曖昧になってしまっています。できれば、北側に隠れている「弦ヶ城」も復元したかったのですが、調査資料が少ないため、地形の復元にとどめています。もし、よろしかったら町役場にお立ち寄りください。正面玄関入ってすぐのところに置いてあります。
( 奥大介)さんより
石垣が、猪苗代氏時代に作られた野面積みのものと、戦国末期に蒲生氏郷が会津の領主になった際に穴太衆によって構築されたと思われる切石積みのものの両方を見る事ができる。
( 奥大介)さんより
最初に作られたのは鎌倉時代だといわれている。源頼朝の東北遠征で功績のあった三浦一族の佐原経連(さわらつねつら)がこの地を恩賞にもらった際に構築したと思われる。この佐原経連が猪苗代氏の祖であるとされている。その後、この城は会津盆地と仙道を結ぶ交通の要衝として重要視され、城主猪苗代氏、会津の領主蘆名氏ともども戦国時代に突入する。
( 奥大介)さんより
城山公園には約100本の桜が植えられ、桜の名所としても知られています(開花時期はゴールデンウィーク直前)
( みどり子)さんより
源頼朝から「奥州征伐」の軍功により、会津四郡を与えられた佐原義連の孫、経連が猪苗代を領して猪苗代氏を称し建久二年(1191)城を築いたのが最初。国内でも最古の城郭跡といわれている。
( みどり子)さんより
泉鏡花原作「天守物語」の亀姫の出身地です。
( みどり子)さんより